2008年12月05日

裁判員制度は絶対やめるべき根拠はコレです。な件について

昔、ちょっとだけ刑法、刑事訴訟法を勉強してたので、あえてこのネタを書きます。

最近話題の裁判員制度であるが、、、この制度はマジでやめた方がいい。
色んな意見が出てるけど、、、、たぶん日本人には無理です。

ワビサビで生きてきた日本人の伝統的あるいは遺伝的な勧善懲悪意識では冷静に判断する事はできないと思うのだ。
水戸黄門とはワケが違うのである。
被害者の気持ちや犠牲者の家族の思い、道徳や常識、、、そういったものは裁判においてはすべて「例外扱い」であって、そんな常識は全く通用しない。というかそもそも、そんな単純な犯罪はない。
昨今の犯罪ってのは、単純に2者間の争いだけで起こる物ではなく、そこにはいろんな利害関係や衝突、理解し難い怨恨等があって複雑極まりないものがほとんどだ。
その複雑に絡んだ糸を一つ一つほぐしていかなければ事件の真相は理解できない様な犯罪だらけなのであ〜る。

そこへ「被害者の家族が可哀想」だとか「殺したんだから死刑になって当然!」みたいな単純な勧善懲悪思想には意味がないのだ。
そして残念ながら「ワビサビ」的な禅スピリットを良しとする(傾向にある)日本人はどうしたってそういう発想に流されてしまうだろう。

例えばアメリカには「FREEDOM」という全国民のコンセンサスがある。良いか悪いかは別にして、これを盾に一致した意見を導き出せる可能性があるのだ。その点で日本人の(人種的•宗教的な)曖昧さは(公判に影響するかしないか?は別にして)裁判(=人が人を裁く、殺す)にはもっとも適さない資質だ。日本人にとって「冷静に判断できる人」と「情に支配されてしまう人」という誤差は「とてつもなく収集がつかない」誤差なワケである。それをまとめる術が全くないのだ。

また、迅速な裁判、、、とかっていう事についても単純に「誤審やえん罪」の可能性が増すだけだし、迅速化を進めるための事前の要件整理や裁判員への状況証拠や調書、物的な証拠や証言がカットされ、ある程度「方向付けがなされた」説明しかなされない可能性もかなり大きい。既に「有罪あるいは無罪の推測ができる様な」証拠しか説明されない事になりかねないのは目に見えてるし、、、。

一般の会話には到底出てこない様な難しい言葉や理念も目白押しである。

狭い島国でお互いが片寄せ合って「まあまあまあ!」みたいな日本人が、主張を要求される「人を裁く行為」に耐えられるかどうか?も大きな問題だ。

自分の判断で誰かが「何年も牢屋にぶち込まれる」ワケである。もしかしたらアナタの判断は間違ってるかもしれないんだよ?
本当はもっと深くて先祖代々脈々と続く複雑な歴史の元に、行われるべくして起きてしまった犯罪かもしれないんだよ?
そういう事はたいして説明してくれないまま、アナタは「3日間くらい」でその被疑者を判断しなければいけないんだよ?
もし間違ってたらその被疑者の大切な人生の一部分は台無しだよ?
アナタはそんな(心情的な意味で)重たい責任を取れるの?
この先生きていく上でアナタは非常に重たい十字架を背負ってしまう事になるかもしれないんだよ?

裁判「官」というのは、それ位の強烈なプレッシャーと背負いきれない位の責任の中で日々「人を裁いて」いるんです。
それでもアナタはやりますか?、、、、裁判員。

今からでも遅くないから、ホントにやめた方がいい、この制度。
posted by Bishop at 15:27| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
裁判員制度ですが、ふと以下を連想します。

ここ数年、集団ストーカーなる被害者が増加しているようにおもえます。
彼らのほとんどは、何らかの形で創価学会とトラブルとなっていると噂されています。
彼らの主張は妄想で、「統合失調症」と診断されます。
当然、彼らは裁判員にはなれません。

あながち、有名人や著名人以外は、この方法使えるように思えます。
被害者は一般人対象ですから、誰も本気に(彼らの主張を)相手にしないでしょう。
かならず、裁判員の中に創価学会信者が入り込むことになるんでしょう。
6人に1人って感じですかね?もしかして、学会員は裁判員制度の教育もしっかり受けてそうですね。
Posted by nonzi at 2008年12月05日 18:56
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